【動画】轟哲也さんが最後に遺した言葉

「緩和ケアは、終末期になってからお世話になるものと思っていました」

轟哲也さんは、こんな言葉から自分の率直な思いを語り始めた。
2016年7月16日、聖路加国際病院の市民講座で、彼は妻・浩美さんと共に、進行がんの闘病に緩和ケアがなぜ必要なのか、当事者の立場から伝えている。

一時期、とても険悪な状態に陥ってしまった轟夫妻を救ったのは、聖路加国際病院の緩和ケア医・林章敏先生だった。
緩和ケアが、身体的な痛みを和らげると同時に、患者と家族の心を支えていることは、まだ十分に理解されていない。
抗がん剤治療と同時に、緩和ケアを始める意味がここにある。
このYouTube動画は、轟哲也さんの最後となった講演の全記録だ。
闘病中のがん患者や家族の方々に、ぜひ見てほしい。
そして、がん治療に携わる全ての医療関係者にも、患者の本音を知っていただきたいと思う。

市民公開講座・緩和ケアのことをちゃんと知ろう <希望の会 YouTubeチャンネル>より

この日の朝、哲也さんは自宅に迎えに行った僕と会っても、目を合わさなかった。いつもは必ず笑顔を見せてくれる人なので、体調が本当に厳しいのだと分かった。
車イスを積んで彼の自宅を出たが、車中でほとんど口を開かず、講演会に力を温存しているようだった。
背中に彼の存在を感じながら僕はハンドルを握り、自分の心を平静に保つことができなくなってしまった。

  真っ直ぐに行けば15分ほどの道のりなのに、いつの間にか銀座の歩行者天国に迷い込んでしまった。
その時、浩美さんが助け舟を出してくれて、なんとか聖路加国際病院にたどり着くことができた。
会場には彼の盟友が待っていて、車イスを受け取ると、ずっと背後から見守り続けた。
酸素吸入器を付けながら、彼は20分間の講演をやりきった。

  残された時間が限られていると感じながら、この講演会で緩和ケアの重要性を伝える決断をしたのだ。
あの人らしい生き様だと思う。
轟哲也さんは、講演の一ヶ月後に旅立った。

酸素吸入をしながら、声を振り絞るように、緩和ケアの重要性を伝えた。(C)M.IWASAWA