福島・浜通りの救急医療は、いつ崩壊しても不思議ではないと言われている。
特に南側に位置するいわき市は、警戒区域からの移住や、原発の廃炉や除染の作業員が全国から集まり、福島市や郡山市よりも人口が多くなった。救急医療の最後の砦である、いわき市立総合磐城共立病院・救命救急センターでは、去年1年間で「4462件」の救急搬送を受け入れた。
一日平均で、12台の救急車が患者を運んでくる計算になる。それを常勤医4人と応援の非常勤医師で対応しているのだから、凄まじい。
救命救急センター長の小山敦氏は、東北大学を卒業後、救急医療の名門である日本医科大の医局に入り平成15年、いわき市の救命救急センターを立ち上げるために来た。
小山氏を慕って日本医科大の後輩たちが足繁く通い、浜通りの救急医療を瀬戸際で支えている。
命を救うことにかけるマインドは、看護師や放射線技師、メディカルクラークまで全員にみなぎっている。だから、患者が搬送されてきた時のスピード感あふれる対応は、圧倒されるほどだ。
小山氏は、これまで特に目立った論文発表はしていない。本も書かないし、マスコミに登場することも決して多くない。
彼の関心は、日々運ばれてくる患者の命だけに向けられている。
いわば、無名の救急医なのに、若い医師たちは小山氏の元に集まる。
それは回復不能と見えた患者を元気にさせる高度な技術を持っているからだ。
私が取材した日、搬送されてきた患者を緊急でカテーテル治療を行うことになった。
若いドクターが細い血管にカテーテルが入らず苦戦する。交代した小山氏は、難なく通過させた。
こうした現場を目の当たりにして、若いドクターはいつか小山氏のような救急医になりたいと決意する。
おそらく、いわき市民の多くは知らないと思うが、国内有数の救急医と、意識の高い看護師たちによって命を守られているのだ。
今、存続の危機にある高野病院は、いわきの救命救急センターから退院した患者を引き受けることもしていた。
小山氏によると、救急搬送されて一命を取り留めた患者は、社会復帰する前にリハビリなどの過程が必要なのだという。救急医療は、患者の搬送を受け入れて治療するだけではなく、その後のケアも重要なのだと今回の取材で初めて知った。
いま改めて、なぜ高野病院が必要不可欠な存在なのか、小山センター長にインタビューしたので、その動画もぜひご覧いただきたい。