福島県広野町・高野病院 存続の行方

「時が経てば、この病院の存在なんて忘れられる。だから、取材は受けなくていい」

2011年の震災直後、福島県広野町の高野病院に多くの報道陣が取材に訪れたが、高野英男院長は応じようとしなかった。
実は、当時フジテレビのニュースJAPANに所属していた私も、院長の命を受けた高野己保事務長(当時)に追い返された一人である。
そのご本人は記憶がないと笑うが、報道陣の中には、とても横柄だったり、取材を受けるのが当然であるかのような人間も多くて苦労したという。

いま、高野病院には新院長を務める中山祐次郎医師が現地入りしたこともあり、地元紙、キー局の報道番組などの取材が殺到している。
気になるのは、福島県からの情報を鵜呑みにした報道が多いことだ。

今月18日の第二回対策会議で、象徴的な場面があった。
会議終了後、テレビ、新聞などの報道陣が、福島県の地域医療課・平課長を取り囲むかたちで、ぶら下がりと呼ぶ会見が始まった。(会議は非公開)
このすぐ側を、高野病院の己保理事長や、高野病院を支援する会の医師たちが通りすぎても、記者たちは誰も気づかない。

高野病院の記者会見
会議後、福島県の地域医療課の平課長を取り囲んだ、ぶらさがり取材。(C)M.IWASAWA

現場にいた私は、なぜ誰も「当事者」に関心を向けないのか不思議で仕方がなかった。案の定、この日のニュースの大半は、福島県が会見で話したとおり「常勤医を派遣」という内容だった。
これだけ見ると、支援策が着実に進んでいると一般の人は思うだろうが、実際は違う。

ただ、地元メディアでは唯一、福島民友が一面トップで「高野病院、無償提供の用意 診療継続を条件」と打った。
以前、私は福島民友の記事を批判したこともあったが、問題の本質を捉えた福島民友の姿勢に感動すら覚えた。

一方、福島民報は2面に「高野病院に常勤医派遣へ」との見出しで、ベタ扱いに等しいほど小さい。
「県や町に無償提供する考え」という記載もあるが、いかにもアリバイ的。
高野病院が存続できる条件は、4月以降の院長確保であり、経営基盤の抜本的な見直しだ。 常勤医の派遣は付随項目であることを、取材した記者もデスクも理解していないのだろうか。

とはいえ、高野病院は福島県に譲渡されて存続するということが実現可能なのだろうか。
今月20日、私は福島県の担当者である、地域医療課・平課長に単独インタビューを行った。

岩澤「民間病院を特別扱いできないという福島県の発言を受けて、高野病院側は“無償譲渡”という苦渋の決断をしたと言っている。地域で入院が可能な唯一の病院として果たしてきた役割を、福島県はどのように捉えているのか?」

福島県「県は、民間病院だから支援しないとは言っていない。震災後に浜通りの民間病院に対して、補助金や医師の派遣など様々な支援を行なっているし、高野病院にも同じように支援している。 慢性期の病院として住民の方々に利用されていることは認識しているので、常勤医の派遣などの支援策を検討している」 (筆者注※ 高野病院も、医療機器の導入などで一部補助を受けている。 ただし、経営に関する支援は、原発事故による影響で経営難になったのにも関わらず、返済義務のある融資のみだった。 また、常勤医の派遣はこの6年間で何度も求めてきたが、聞き入れられず、故・高野院長一人に大きな負担がかかっていた)

岩澤「第二回の対策会議で、福島県は院長を派遣しないという方針を示し、病院の無償譲渡について何も言及しなかったのは、あまりに冷たいのではないか?」

福島県「常勤医を派遣する方針はお伝えした。院長については、福島県立医大の医師を派遣して民間病院の院長を務めてもらうのは公務員として、身分上の問題が発生することが考えられる。病院の無償譲渡については、何も聞いておらず、新聞記者からの取材を受けて初めて知った。驚いている」(筆者注※ 高野前院長が亡くなった直後から無償譲渡の話をしていたと、巳保理事長は証言している)

岩澤「住民の帰還が進む中で、高野病院は、救急医療の観点からも重要だと関係者が証言している。県の認識は?」

福島県「楢葉町にドクターカーを運用させており、富岡町には救急対応を中心にした、“ふたば医療センター”が、平成30年4月に完成する予定。高野病院さんは、どちらかというと100人の入院患者をどうするか、という問題」

岩澤「ドクターカーの運用時間は?ふたば医療センターが完成するまでの1年余りは?」

福島県「ドクターカーは平日の午前8時半に、県立医大(福島市)を出発して、午前10時前後には、楢葉町でスタンバイする。午後3時過ぎには現地を離れるという体制。楢葉町の復興診療所や富岡町立診療所でも、日中は救急対応をしている」

福島県の担当者は、誠実に取材対応をしてくれた。
しかし、コメントの内容からは、高野病院を本気で存続させようとする意欲は感じられない。
この6年間、高野病院が厳しい経営環境のなかで綱渡りのような日々を送ってきたことは、高野己保理事長が、医療ガバナンス学会(MRIC)に投稿した手記や、「プロメテウスの罠3(朝日新聞特別報道部:著)」などに詳細が記されている。 何度か再放送されているETV特集でも、福島県の平課長が高野病院を訪ねてくる場面があり、そこでも支援の要請には応えていないことが分かる。

D-MATの有志や、福島県立医大の救急医、杏林大の外科チームが非常勤で応援に入り、高野病院はなんとかしのいできた。それでも、東京からの交通費や謝礼は相当な金額になり、経営的を圧迫していることは容易に推察できる。

次の第三回対策会議で、福島県は方針転換をするのか、全く予測がつかない。 高野病院の存続は依然と不透明なままだ。

※故・高野院長が亡くなった後、高野病院を支援する会によるクラウドファンディングで、全国から応援に駆けつけている医師たちの交通費などはカバーされている。