緩和ケアで生き抜いた3人の男たちと家族の物語 VOL.1

VOL.1 神様がくれた家族の時間

「友達を連れてこられる家に住みたい、と娘に言われてね。
よし、大きい家を建てようと、毎日4時間しか眠らないで働いたのさ。
二人の娘はしっかり育ったし、母ちゃん優しいし、満足しているよ」

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 森下さん.jpg です
森下勝博さん。抗がん剤治療をやめて、家族のために建てた自宅での日々を選んだ。(C)M.IWASAWA

森下勝博さん(1949年生・伊勢崎市)は、亡くなる1週間前に、自分の人生を振り返ってこう話してくれた。
自宅を新築したのを契機に、勝博さんは深夜帯の運送業務に就き、睡眠1日4時間の生活を実に15年以上も続けていた。
2011年10月、勝博さんに大腸がんが見つかり、長女・文恵さんが勤務する伊勢崎市民病院で左半結腸を切除。この時、リンパ節転移が確認され、二週間おきに抗がん剤を打つ生活が始まる。
その副作用が、勝博さんの生活を一変させてしまった。

抗がん剤治療は、患者によって大きく異なる結果をもたらす。
抗がん剤で、がんの進行を抑制したり、症状を抑え込むことができるケースもあれば、強い副作用に苦しみ、期待した効果が出ないケースもある。
そして、「抗がん剤の副作用に耐えられないのは、精神的に弱いからだ」というのは全くの誤解だ。
人によって、副作用の症状も度合いが全く違うのであって、患者のパーソナリティの問題は副次的な要素でしかない。

勝博さんは、大腸がんの手術後に再発予防を目的に、8クールの抗がん剤治療に耐え続けたが、それは過酷な副作用との闘いだった。
「抗がん剤を打つと興奮状態になって、家族とまともな会話ができない。夜も眠れない。指の爪がすべて割れて、血が滲んでいました。コップさえ持てないから、運転もできない。常に吐き気がある。完全にうつ状態になって、死が頭から離れませんでした」(勝博さん)
家族を傷つけたくないという思いから、勝博さんは自分の部屋に引き篭もるようになり、食事の量も極端に減った。
同居していた次女・博子さんが、心配して声をかけたが…
「ご飯を食べようとしないから、それじゃ生きていけないよと父に言うと、俺はもう死にたいから食事はいらないと」

2013年2月、今度は肝臓に転移が見つかる。再び抗がん剤治療を提案されたが、勝博さんにとっては限界だった。
当時の主治医・保田尚邦(伊勢崎市民病院・診療部長)氏は、勝博さんに〝いっぽ〟の受診を勧めた。
「最終段階になると、がんは完全に治すことはできない。
でも医療の役割は、痛みや苦しみを取るためにあります。
患者さんにとって大切なのは、命が延びることだけではなく、その人が楽しく、自分らしく生きることではないでしょうか。
だから緩和ケアは諦めじゃない。〝攻めの医療〟の続きです」

体調が良くない時も、話をしているうちに笑みが溢れる。緩和ケア診療にとって、看護師の役割はとても大きい。(C)M.IWASAWA

緩和ケアは、「がんを治す」という意味での積極的な治療ではない。
だから、抗がん剤治療ができなくなった患者が、「苦しまないように終末期を迎えるための医療」というイメージが定着してしまった。
これは患者ばかりでなく、多くの医療者の認識も同じだと感じる。
「早期からの緩和ケア」が理想的だとされているが、全国的に見れば、その体制は不十分な状態だ。
また、緩和ケアの概念が、医療現場によって解釈が、微妙に異なっていることも、患者に混乱を招いている。

森下勝博さんは、限られた命の現実と向き合い、自分にとって最も大切だと考えている家族と過ごすために、緩和ケアを選んだ。
抗がん剤治療を中止するのは、諦めでも、弱さでもない。それは、勇気ある決断であり、森下さんにとって最善の選択だったと思う。
ただし、緩和ケアは決してバラ色の医療ではないし、全ての痛みや苦しみから解放されることを約束されるわけではない。
いっぽの緩和ケアを受けるようになって以降、勝博さんは度々吐血している。
2015年1月には、意識不明になり、家族も別れを覚悟した。

だが、彼は何も治療を受けずに劇的な回復を果たして、自宅周辺を5千歩のウォーキングができるまでになった。そして、家族との大切な3ヶ月間を、自宅で過ごした。
これを実現したのは、いっぽの看護師と医師が、勝博さんと妻・和子さんと娘たちの「心」を支え続けた結果だと思う。薬の効果などではない。
その時の映像はYouTubeにアップしたので、ぜひご覧いただきたい。
(下にリンクを貼っています)

 勝博さんは、2015年5月に、自宅で妻・和子さんに手を握られながら、娘と孫に見守られて息を引き取った。
その翌年、次女・博子さんが出産した男の子と会った時、私はその笑顔を見入ってしまった。勝博さんの面影を見たからだ。
きっと勝博さんは、自分の命が引き継がれたことに、救いと希望を感じたのではないだろうか。
看護師の長女・文恵さんは、勝博さんの死後に、がん患者の退院支援業務に就き、在宅生活を支えている。
妻・和子さんは、今でも自宅に勝博さんの気配を感じることがあるという。

「外出していても、早く帰ってあげないと寂しいんじゃないかなと思うんですよ。あの人が復活した3ヶ月間は、神様がくれた時間だと思っています」

緩和ケアを受けながら自宅での日々を過ごした森下さん
「娘たちはしっかり育ったし、母ちゃんは優しくて、婿さんは本当に良い人たちだ。満足しているよ」インタビューの合間、そう言って笑った森下さん。(C)M.IWASAWA

抗がん剤治療には、一定の効果が証明されているが、ステージ4の固形がんを完治させるのは、極めて難しい。
長期間の治療によって耐性が出て、効果がなくなる時もある。それでも、最後まで治療を続けるという選択も、患者によっては正しいし、途中で緩和ケアに切り替えてもいいはずだ。
進行がんの治療は、患者それぞれの人生観や背景事情によって、様々な正解があり、ガイドラインに従うことが必ずしも正解ではない。
だから近藤誠氏の「抗がん剤は効かない」という極端な主張も、「標準治療が正しい」という教条主義も、患者個人を見ていないと感じるのだ。

「患者自身が決めた選択が唯一の正解だ」と森下勝博さんに教えていただいたように思う。

【動画】森下勝博さんが生きた日々 (3分40秒)